作るものに対してプライドを持つ

この記事は,Pepabo Advent Calendar 2015の13日目の記事です.


「そういえばまだ何も書いていなかったので,新卒研修についての話を書きます.」
と書きましたが,他の方々が詳細にまとめていて,私が何か書くような余地が無くて困っています.

なので,同期のあらみそがまとめた「委員会に出会ったはなし」に乗っかって
委員会の一員になっていた人の考えていたことを書こうかと思います.


委員会とは

「委員会に出会ったはなし」では,

議題 「クラスのだしもの」「クラスのほにゃらら委員」を決める
いつまでも決まらないアレ

このように説明されています.

私は

  • 話し合いの際に何かを率先して決める人がいない
  • そのため,話し合いが進まず,決めるべきことが何も決まらない

という状態が委員会なのかな,と思っています.

顔色をうかがっていたのか?

あらみそのスライドに書いてあるように,私は委員会になっていたほうのチームである,ねはんにいました.
そして,委員会になっていたので

ねはんには決めるひとが誰もいなかった

という状態でした.

なぜ,決めるひとがいなかったのでしょうか.
チームメンバー全員が,それぞれの顔色をうかがっていたのでしょうか.

私はそうではなかったと思っています.
と言うより,私はそれだけではありませんでした.

他のメンバーが頑張って良いアプリを作っているなか,私は適切な「自分ごと化」ができていませんでした.

「自分ごと」の種類

自分ごと化するということは,何をすることかと言うと
対象に自分が関わっていると自覚し
そうすることで積極的に関心を持っていくことだと,私は思っていました.

しかし,自分ごと化ができていなかったとは言っても
では,作っているアプリに対して興味が無かった,という意味ではありません.

アプリがサービスとしてある程度利用可能になってからは,毎日のようにそれを使っていましたし
研修が終わって,アプリに使っているサーバを落とすという時は,少し寂しい思いもしました.

ただ,それはアプリのユーザーとして関心を向けていただけであり
開発者として関心を向けていたかと言われると,そうではありませんでした.

つまり,自分がそのアプリを作っている開発陣のひとりである,という自覚に欠けていました.
そのため,実際にアプリを使う上で気になる点が浮かんだとしても
「ではそれを自分が直そう」という発想に至りづらくなっていました.

委員会の中に居ながら,開発陣の中に居ながら,外から委員会を眺めていました.

モバイルアプリ研修終了後,振り返りをしているときに
話し合い中にあまりにも自分の意見を言わないので,
スーパーバイザーのokkunに「ファシリテーターになりたいのか?」と聞かれたのですが
そうではなく,ただ開発者メンバーになりきれなかったのです.

作るものに対してプライドを持つ

なぜ,メンバーになりきれなかったのでしょうか.
それは,おそらく,作っているアプリに対してプライドが持てていなかったためだと思います.

私の周りの,素晴らしいものを作る人々は,よく
「自分が作ったものは,胸を張ってそれについて説明できるようにしたい」
というようなことを言っている印象があります.

自分のつくるものに対してきちんとプライドを持てている人たちは,
作ったものが,自分の納得できるようなものでないということを許せないのです.

これがきちんとできている人にとっては「何を当たり前のことを言っているんだ」という気持ちかと思います.
私も当たり前だとは思うのですが,この時はその当たり前ができなかったのです.

ここで,あらみそのスライドに戻ります.
スライドの中で『ハッカーと画家』の一文が引用されています.

委員会が決めたことは,たとえ大部分のメンバーが
それを本当は気に入ってないにしても,そのままになりがちだ

委員会で決めたから,気に入っていないにしても,そのままになりがちなのでしょうか.
それとも,気に入っていないにしてもそのままにしていると,委員会になってしまうのでしょうか.

きっと,そのどちらもあり得るのだろうなと思いました.

どうしてプライドを持てなかったのか

これについては,本当にシンプルな理由でした.

私は全く,アプリに対して真摯ではありませんでした.
研修で作るアプリだからと,自分がやりたいことは言語の学習なのだと
アプリに背を向けながら開発をしていました.

良いアプリを作ろうと頑張っているチームメンバーに対して,
本当に申し訳ないことをしていたなと思っています.

まとめ

長々と書きましたが,つまり
「何かものを作ることを生業にしている人々は,生み出すものに対して真摯に取り組みなさい」
という一番基本的な,当たり前の話でした.

自分ごとにすることで,もちろん,必ずし委員会が結成されないというわけではありません.
これは,あくまでも私が「これをしなかったら,もしかしたらもっとよくなってたかもなあ」
という感想の一部分です.

しかし,多分,この考え方が,委員会を結成する一因を担っていたのかもなあと思います.

書いた話は,よくある当たり前の話かもしれないのですが,反省と再発防止のために,ここに記しておきます.